雁屋哲作「福島ストーカー本」で「密林鼻血紛争」勃発 「親福島有志連合」優勢の裏にある福島の激怒を知れ
朝日新聞「プロメテウスの罠 第9回 我が子の鼻血 なぜ」の「主婦 有馬理恵」は「俳優座の社会派女優&市民活動家」だ 証拠はここにある 「従軍慰安婦」「吉田調書」と同じく検証が必要だ(リンク先読んでください)
「プロメ」のインチキについては、前回エントリーコメ欄に「さや猫」さんが書いてくれたが、非常によいブログが出た。
澤 昭裕blog 書評:「朝日新聞 日本型組織の崩壊(文春新書)」 -吉田調書スクープ・ブーメランの皮肉-
http://ieei.or.jp/2015/02/sawa-akihiro-blog150216/
(前略)
第二に、この記事(吉田調書の記事)は、作業員が現場から逃亡したとは「断言」していない。(私自身、この記事を最初に読んだ際、ツイッターに「この調書の該当部分をどう読んでも、命令違反をしたというふうには解釈できない」旨投稿したところ、同感だという旨の反応が多くあった。その後の共同通信のより深い取材に基づいた連載で、その点が明らかになっている。)
問題は、断言していないが、そう思わせるような印象操作をしているところにある。実は朝日新聞は、「結果的に誤った印象を与えた」としてこの記事を撤回したが、印象操作は認めていないのだ。
しかし、このような印象操作と思える記述は、朝日新聞の長期連載「プロメテウスの罠」でも頻繁に見られる。例えば、低線量被ばくで健康被害が起こると「断言」はしていないが、そう思わせるような印象を読者に与えることを意図した記述だ。
断言しないことで逃げ道を確保した上で、印象操作による世論誘導を行っているという姑息な方法ではないかと私には思える。朝日新聞はそれでも印象操作は認めないのだろうが、本当にそうだとしたら記者の日本語の読解・記述能力に問題があると思わざるを得ない。
私は「吉田調書」誤報と「プロメテウスの罠」は同じ穴のむじなであり、風評被害などの影響を考えると後者の方が実は罪深いと思っている。吉田調書報道を検証するなら、「プロメテウスの罠」も検証するべきだろう。著者たちが否定する「イデオロギー」による記事偏向がないかどうか、この連載も対象とされなければ公平・公正さに欠ける。
しかし、著者たちにそのような意識はうかがえない。むしろ、「プロメテウスの罠」は立派な業績と思っているとうかがえる箇所がある(85ページ)。ちなみに、一連の慰安婦報道を書いたとされる朝日の元記者が某月刊誌に寄稿した手記で展開している主張も、要は「私は強制連行があったと断言していない」だ。
(後略)
この悪質な「印象操作」が「プロメ」で行われた典型的な例は、竜田一人さんの「いちえふ」を取り上げた、
(プロメテウスの罠)漫画いちえふ:13 「鼻血」答え出ない 2014年11月18日05時00分
http://www.asahi.com/articles/DA3S11460952.html
だった。詳細は http://shinobuyamaneko.blog81.fc2.com/blog-entry-184.html に書いたが、竜田さんは「福島で被ばくによって鼻血は出ない」と伝えたかったのに、朝日はこんなタイトルを付けたのである。
「主婦 有馬理恵」が「従軍慰安婦」ミュージカル主演の「社会派女優」であることは証拠がある。朝日はもし追及されたら、「有馬理恵が俳優座の女優で、従軍慰安婦ミュージカルで主演し、活動家でもある、と書かなかっただけで、主婦であることは事実だ、ウソではない」とでも言うのだろう。もしここで「従軍慰安婦ミュージカル主演女優の息子に、被ばく鼻血が出た」とでも書いていれば、読者に伝わる「印象」は全く違う。「信憑性」に関わってくる。朝日は「印象操作」によって、自己の主張を自由自在に伝える。この点を指摘した上記の澤昭裕氏はとても鋭い。「言論の自由」ではなく、「印象の自由」だが、このグレーゾーンこそは、無責任が横行する危険地帯だ。ではなぜ朝日は、こんな一介のノラネコがネット検索しただけで「隠蔽」「捏造」がバレるような、危険な記事を書かなければならなかったのか?答えは、「被ばく鼻血」として紹介できる「都合のいい鼻血」が、「活動家」以外の一般人には存在しなかったから、である。「被ばく鼻血」の存在自体、インチキの可能性が高い。
ということで今回は「放射脳鼻血おばけの復活」だ。
(http://shinobuyamaneko.blog81.fc2.com/blog-entry-186.html参照
「放射能おばけ」は小野昌弘さんの
放射能恐怖という民主政治の毒(9):放射能おばけとは何か(1)
http://bylines.news.yahoo.co.jp/onomasahiro/20150208-00042709/ 参照)
2/1に雁屋哲の「美味しんぼ「鼻血問題」に答える」なる本が出版された。福島を鼻血デマでイジメて原発廃止に利用しようという、去年5月の「美味しんぼ騒動」の言い訳本、迷惑千万のまさに「福島ストーカー本」(特に「第七章 福島の人たちよ、逃げる勇気を」に、「福島が好き」「福島のため」と自称する気持ち悪いストーカーぶりが現れている)だが、まず例によってマスゴミのプロパガンダにあきれ果てた。12月から、この本を宣伝しまくっているのだ。全マスゴミがこの悪巧みに加担しているが、ここでは朝日の「印象操作」を見ていこう。
「美味しんぼ」雁屋さん、本で意見表明へ 原発描写巡り 2014年12月10日12時28分
http://www.asahi.com/articles/ASGDB3PZZGDBUCLV003.html
今年4月と5月に発売された週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館)の作品に、鼻血と被曝(ひばく)を関連づける描写などがあり、福島県などが抗議をした。
ここには「県=体制、権力」が抗議した、「福島県民=権力が無い気の毒な市民、人民」は抗議していない、美味しんぼは権力と戦っている、という「印象操作」が行われているが、5月の騒動で誰よりも一番怒ったのは、オレラ「福島人、ネコ」だった。ここにはほんの一部だが、福島民友やTBS等に出た福島の人の怒り、不快感が記録してある。
NAVERまとめ「福島で鼻血」あなたはどう思う?美味しんぼの風評被害と問題点
http://matome.naver.jp/odai/2139892556386015201
結論で「言論封殺への危惧」を煽っている毎日新聞の社説でさえ、「中身には疑問があり、福島の人たちから怒りの声が上がっていることは理解できる。」と書いた。
社説:美味しんぼ 「鼻血」に疑問はあるが 毎日新聞 2014年05月15日 02時32分
http://mainichi.jp/opinion/news/20140515k0000m070146000c.html
朝日によってオレラは常に「いない」ことにされている。連中が取り上げる「福島の人」や「市民」は、「有馬理恵」の例で判るように「プロ市民」「中核派」の類だ。奴らは権力と戦う「正義」、ってわけだ。
そしてご丁寧にも発売直後にまた、「プロパガンダ」。
鼻血の描写「伝えたのは真実」 美味しんぼ原作者反論本 大西元博 2015年2月2日10時45分
http://www.asahi.com/articles/ASH217618H21UCVL00G.html
(前略)
福島に住むことも食べ物も安全とする「この国の神聖なタブーを破った極悪人扱いを受けた」と述懐。
放射線被曝(ひばく)との因果関係を「考えられない」と否定した環境省の見解に対して、福島県の地元住民の証言や研究者の調査などから「福島の環境であれば、鼻血を出す人はいる」。風評被害との指摘については、「私が伝えたのは真実です。『風評』ではありません」などと主張している。
本の半分近くを割いて福島県の農業関係者や福島第一原発を訪ねた体験を紹介。その上で、内部被曝や低線量被曝が人体に与える影響について持論をつづった。
マンガ原作者が「人体に与える影響について持論」というのはワラうしかないが、この記事にも「印象操作」がある。
まず、「この国の神聖なタブー」とは何事か?オレラの行為=「福島に住む」が神聖なタブーだというのは、「スティグマタイズ」そのもので、雁屋の福島差別体質を見事に表している。
このブログを立ち上げた11年、福島に住み続けたオレラは「福島に人間は住めない」とする「反原発」、そればかりか「マスゴミ」によっても、散々脅され、イジメられた。これのどこが「神聖なタブー」なのか?まったく逆だ。自分の妄想が形勢不利になってきたから、「神聖なタブー」という「聖痕レッテル」貼りをして、自分たちが抑圧されているという「被害者面」を始めただけだ。反論されただけで「言論の自由が侵害された」と言い出すのと同じ、「幼児性」の一種にすぎない。ま、11年頃の「反原発なら何を行っても正義である=反原発無罪」の中で増長している内に、すっかり「守りに弱く」なったってわけだ。それだけ「反福島」の勢いが失せて来たってことだろう。だいたい、もし今の日本で「神聖なタブー」があるとすれば、それはいまだに多くの人が面と向かって言わない(言えない)、「原発賛成」だ。
そして例によって「環境省」=国との対立概念として置かれているのは、「福島県の地元住民」「福島県の農業関係者」だ。ここでも雁屋について「哀れな福島人民の味方をして、環境省=国家権力、と戦う正義の味方」という「印象操作」がなされている。しかし先に見たように、「その哀れな福島人民」は、国家権力ではなく、雁屋に対して激怒し、嫌悪している。これが事実だ。
この本が「遊幻舎」という雁屋自身の出版社から出たことは面白い。要するに自費出版みたいなものだ。雁屋は「出版社は、「遊幻舎」 小学館とは、全く無縁の会社なので・・・」と書いている(ブログhttp://kariyatetsu.com/blog/1717.php) 。しかしここまで書いて、なぜ「自分の会社だ」と書かないのかが、非常に不自然だ。「無縁の会社」などと回りくどい書き方をする理由は何か?マスゴミ各社も二回も宣伝しておきながら、これには全く触れていない。ところが、この「ストーカー本」の中身では、雁屋は5月の騒動で、小学館に抗議電話が殺到したのが原因で、小学館ではなく「自社」で出すハメになった、そしてその抗議は「プロ」によるものだ、としているらしい。中身にこんな「言い訳」を書いていること自体、どこぞの市民団体のアジビラ並みの低レベル廃棄物だが、しかし小学館なんて、儲かれば矛盾も何も気にせず出版するのが当然で(http://shinobuyamaneko.blog81.fc2.com/blog-entry-169.html参照)、要するにもう「売れない」「賞味期限切れ」と見たのだろう。それに小学館としては、前回の騒動の時に「賛否両派の見解」を集めて特集ページを付け、「決着」をはかったいきさつがある。この部分は12月に出た「美味しんぼ」修正版単行本では省かれたので、このままで、雁屋の言い分だけを載せた本など出すわけがない。「プロ」による電凸攻撃なんて、そもそも「がれき忌避事件」の頃は「反原発」の得意技だったのだから、笑うしかないが、どんなに自分への攻撃が「プロ」からのものだと言い張っても、「アマチュア」の福島人が雁屋に怒り、嫌悪していることは事実だ。
(追記 2/18)
そして本日、またしても朝日の「雁屋ちょうちん記事」が出た。
(表現のまわりで)「鼻血問題」への思い 「美味しんぼ」原作者・雁屋哲さん 2015年2月18日05時00分
http://www.asahi.com/articles/DA3S11606973.htmlこの記事でも、「印象操作」が行われている。(「無料会員」以外読めないところがあります。太字は記事からの引用)
ここではこの記事で、雁屋に対して抗議したり、賛同した人は誰なのか、についての「印象」を見るのだにゃ。
① 「抗議の電話がなりやまない」「雁屋さんがブログで反論するとさらに抗議が殺到した」「インターネットには信じがたい言葉で私を批判する言葉があふれましたが、福島の人を傷つけた、と言われたのはすごくショックでした」
という表現には、誰が抗議したのかが書いていない。「福島の人を」という表現は、他人を指す表現で、「福島県民ではない、外部の人間がそう言っている」という「印象」を示唆する。しかし抗議した者の中には「福島県民」が多数含まれていた。
② 「自身のブログには福島県民から「誰も言えないことを言ってくれた」「勇気がある」といった投稿が寄せられているという」という表現では、「福島県民」が登場し、雁屋に賛同、感謝していることが書いてある。しかし全国の「反原発」「放射脳」の方が多数賛同、感謝したはずである。
③ 「この問題では、安倍内閣の閣僚などからも、「根拠のない差別や偏見を助長する」「風評被害を招く」といった批判が続出した」
ここでは「国」が批判したことだけが書かれている。だが何より地元自治体が強く批判、抗議した。自治体は国と同じ権力だって?前にも書いたが、人口2500あまりの川内村の「権力」と、社員4640人で日本社会に大きな影響力と発信力を持つ朝日と、どっちが「権力」なのか?
結局この記事の中で「福島県民」は雁屋に「賛同、感謝した」ことしか書かれていない。①+②+③=雁屋を批判した人々は福島県民ではなく、外部の人間と安倍内閣である。福島県民は雁屋に賛同、感謝した、という「印象」になる。
オレラはいない。いつもだ。
あ~、記事の最後で雁屋は「議論しましょう」と、いかにも「冷静なインテリ」のようにほざいているが、誰に向かって言っているのか?議論なら専門家が喜んで受けるだろう。反論されたら「言論の自由の侵害」と叫ぶ輩が、どうやって議論するのかさっぱりわからんが、朝日の言う「人体に与える影響について持論」とやらで、たっぷりやるがいい。福島県民は雁屋によって、「福島の人は本当の事が発言できない」などと決めつけられて、挙句の果てには「次号を見たら発狂する」とまで言われた。論拠を欠いた「反原発感情」で福島を貶める雁屋が、追い詰められたら「議論しましょう」とは、鼻から「酪王カフェオレ」だ。
(追記2/18 ②)
ginco_silver さんの「まとめ」
朝日新聞 大西元博記者が書いた『雁屋哲氏の「鼻血問題」への思い』に対する反応
http://togetter.com/li/784718
ちなみに大西元博記者は、上杉隆に寄付している。
http://ameblo.jp/uesugitakashi/entry-11740294308.html
今、AMAZONで紛争が起こっている。
http://www.amazon.co.jp/%E7%BE%8E%E5%91%B3%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%BC%E3%80%8C%E9%BC%BB%E8%A1%80%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%80%8D%E3%81%AB%E7%AD%94%E3%81%88%E3%82%8B-%E9%9B%81%E5%B1%8B-%E5%93%B2/dp/4990301986/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1423542139&sr=1-1&keywords=%E9%9B%81%E5%B1%8B%E5%93%B2
での「カスタマーレビュー」だ。「親福島有志連合」が「星1」のレビューを書き、これに対抗して「反原発正義軍」は、「星4」または「星5」のレビューを書く、という事態になっている。双方とも「読んだ 読まない」は争点にはなっておらず、レビューの中身は本の中身には全く触れていないものもある。まあ「有志連合」にとっては、こんな本買ったら雁屋のフトコロに金を投げ込むようなものなので、ほとんど買わずに書いたものだろう(何と「立ち読み」した、という強力な人もいる)。
しかし非常に面白いのは、「反原発」側も確実に買って読んだと思えるレビュー(具体的にどの部分が面白かった、感動した、ってな話)は少なく、読まなくても書けるような、相手を「原発推進派」と決めつける単純な政治的主張が目立つことだ。実際現時点(2/16 23:11)の33レビュー中、「AMAZONで購入を確認」が付いているものは、3しかない。この全てが「星5」だが、「星5または4」の雁屋に味方したレビューは15もあるのに、この状態なのである。もちろん他の本でも「AMAZONで購入を確認」が全部についているわけはないが、こんなに少ないのは珍しいのではないか。「アマゾンではなく、他の本屋で買った」というケースはあると思うが、この本は反原発にすら売れていない、ってことが推測できる。確認したわけではないが、一般論として、「AMAZONで購入を確認」がついていないレビューが多い本は、評価が低いものが多いのではないか。小学館はうまく逃げたものだ。
この紛争はHideta Fukushimaさんが、本の発売前に「星1」を書いたら、何故か掲載されたことから始まった。本来AMAZONのレビューは、発売前には載らないはずだが(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0907/07/news102.html 参照)、見事な奇襲攻撃、「電撃作戦」で、早野先生もツイートした程の鮮やかさだった。
そしてこの「戦場」の現況だが、現在(2/16 23:11)「有志連合」は優勢である。単純にはレビューの数で、「星1」=18 vs. 「星4+星5」=15 、平均評価2.7(均衡状態は3になる)だが、レビューは個人で一つ書けて、レビューの総数が現状の33では、一つのレビューの星が平均評価に大きく影響するので、集団(≒世の中、もちろんAMAZONカスタマーという条件は付くが)の「支持率」はそれ程は表せないだろう。より表しているのは、「参考になったか?」の「はい」vs.「いいえ」だ。
現在「星1」のレビューに対する、参考になりましたか?の答えの合計は
「はい」=2108 「いいえ」=1044
「星4」と「星5」に対しては
「はい」=780 「いいえ」=996
すなわち、我々「親福島有志連合」は、2108+996 vs. 1044+780 ≒ 63 vs. 37 で戦局を完全に優勢に進めている。
また全ての「星4」「星5」で、「参考になりましたか?はい」は50%を切っているが、「星1」では60%以上だ。
何よりも確実なことは、オレラ「福島人とその友人」は「多数派」になったということだ。これまで福島に散々風評加害してきた「反原発」と「放射脳」は、遂に「少数派」に転落した。数字で確認できたのは、これが初めてではないだろうか?
オレラはこれまで、朝日をはじめとするマスゴミには、「存在しないモノ」として扱われてきた。しかし今や完全に「主流派」、「大きな存在」である。
Hideta Fukushimaさんは実際にこの「ストーカー本」を買って、その中身を伝えてくれている。福島を思う気持ちがヒシヒシと伝わり、自分も頑張らなくては、という気にさせていただいた。ありがとうございます!以下はレビューからの引用。
著者は福島県の鼻血が統計学的に多いという学説があるかのように記述している。
その根拠として4点列挙している。
1)「双葉町民の健康状態について。2011年11月に、岡山大学、熊本学園大学、広島大学の研究者による合同プロジェクト班が疫学調査を行い」「双葉町、宮城県丸森町筆甫地区、滋賀県長浜市木之本町」「鼻血に関して両地区とも高いオッズ比を示した」記述。
2)伊達市保原小学校の「健康だより」の「この一学期間に、保健室で気になったことが二つあります。一つ目は鼻血を出す子どもが多かったこと」という記述
3)デイズジャパン広河隆一のチェルノブイリ調査
4)2011年12月2日の参院震災復興特別委の参考人招致。”福島の住民が「自分の娘をはじめとして、周囲に鼻血症状訴える子供が非常に多かった」と証言”
(1)の調査は最終報告書が平成25年9月付けで出ている。「双葉町・丸森町ともに特に多かったのは鼻血」と結論づけているが、木之本町を対照群とした根拠は明示されていない。木之本町が特に全国平均に比して鼻血の極端に少ない地域である可能性があり、鼻血の論拠としては適さない。
(2)の「健康だより」本書にはブログへのリンクが2つ記載されているが現在リンクは切れていて確認できない。
(3)チェルノ調査を福島県で発生した、または現在発生している事象の根拠に使うのはおかしい。
(4)宍戸隆子さんの国会証言は国会会議録検索システムに公開されていて確認できる。
彼女が訴えているのは震災直後国の情報管理が失敗し、パニック状態で逃げ惑う福島県民の苦難と窮状である。
鼻血についての証言は、宍戸氏が避難した後、他の避難者に聞き取りをした内容についての言及だ。
宍戸氏の娘が震災前に比べて異常な鼻血を出したわけではないことが、原文から読める。
この国会証言では「鼻血」は避難者の身に発生した客観的事象ではなく、人々を避難に駆り立てた多くの主観的な不安要素の一つでしかない。
以上4点とも鼻血が客観的に増加している根拠としては適さない内容である。
ということで、雁屋の「被ばく鼻血」の根拠らしきものはこんな程度だが、補足しておくと、
(1)についてはhttp://togetter.com/li/669241 も参考になる。また前々回コメ欄に書いたが、 「信頼区間」が1を跨がないとは言え、随分と広い。「オッズ比 信頼区間が広い」でググった結果、
plaza.umin.ac.jp/phnet/shokyu3.ppt
http://sites.google.com/site/coffeetambe/coffeescience/medicalscience/epidemiology
での「にわか勉強」だが、要するに「精度が低い」。 結局つっこみ所が多すぎて、論文にできない。こんなもので「避難する勇気」って・・・確かに勇気が要りますな。逆にこんな調査結果もあった。
福岡の子供、福島の8倍も鼻血を出す? 小児科医が調査、理由は「わからない」
http://www.j-cast.com/2014/05/13204626.html
また、Hideta Fukusimaさんのツイ http://twitter.com/HidetaFukushima/status/381860534636654592 も参照。
仮説、前提部分を無視して比較すれば、「テロの増加によって人間の寿命が延びている」てな話も、数字で裏付けできそうだ。
(2)は http://www.asyura2.com/14/genpatu37/msg/870.html に残っているが、モチロン被ばくが原因だという論拠はない。鼻血が多かったとしても、あの11年夏に窓を閉め切って授業をやっていたらば、鼻血が増えてもフシギではない。何より「被ばく鼻血デマ」には、常に被ばく線量の話が全く欠けているのである・・・
・・・こんなストーカー本のヘリクツは、これ以上マトモにとりあう気がしない。「被ばく鼻血」が実在するならば、なぜ福島第一原発が血の海にならないのか?原発廃止のために福島を利用しているだけだ。財を成しオーストラリアに住んで、自分の子どもにはよい教育を受けさせて、おめでたい限りだが、少しは福島の人のココロの傷を想像できないのかね~?
AMAZONでのこの本の「説明」は次のようになっている。
内容(「BOOK」データベースより)
福島を取材した主人公・山岡の鼻血の描写が国民的議論を巻き起こした漫画『美味しんぼ』。マスコミのみならず、自治体、はては首相まで乗り出して「風評被害」と責め立てたこの問題に、今こそ答えを出そう。
随分エラそうだが、ここにもモチロン朝日と同じ「印象操作」がある。「マスコミのみならず、自治体、はては首相まで」と書いて、雁屋はいかにも「権力と戦う」エライ人だが、雁屋に対して怒っているフツーの人のことが書いてない。例によってオレラは存在しないのだ。だが今やオレラは「多数」だ。
何が一番怒りを呼び起こすのかって?それは「第七章 福島の人たちよ、逃げる勇気を」だ。もうコンナノにエラそうに呼びかけられただけで、ムシズが走るにゃ。福島に住むオレラをバカにしている。おんつぁ、福島に関わるな!!!
だんだん言葉が荒れてきた。ここは一つ冷静な「放射線被曝の理科・社会」から引用だにゃ。
「美味しんぼ」最大の問題は「福島には住めない」の扇動(p70~)
「美味しんぼ」には、科学的な根拠を示さずに上から目線で「福島県民はだまされている。真実を知らない」とあおる。傲岸不遜な態度が随所に見られます。最も問題なのは「福島には住めない」と声高に主張し、「危ないところから逃げる勇気を持て」と煽っていることです。このことが作者がもっとも言いたかったことであり、「放射線被曝で鼻血」は「福島には住めない」と言いたてるための手段にすぎません。放射性物質による汚染で長期間にわたって住民が帰還できない地域があることは事実ですが、福島県全域が「住めない」とレッテルを貼るのは、差別や風評を煽って被災者を苦しめる「加害」以外の何物でもありません。
私も福島第一原発事故の後、調査などで何回か福島県を訪れましたし、福島に住み続けている方々の声を聞き本も読みました。そこでわかったことは、原発事故で放出された放射性物質と共存しながら暮らしていかざるを得ないというやっかいな状況に置かれてしまった福島県民の皆さんたちこそが、放射線や放射能について福島県外の人たちよりも学習し、科学的な判断にもとづいて住み続けるという選択をされている方が多いということです。福島の知人は「福島県民の中で自由民権運動の時、第二次大戦後に大きな自主学習運動があった。いま、福島県民は三度目の自主的な大学習運動に立ち上がっている」と話していました。私は「美味しんぼ」こそが、福島をまともに取材もせず、県民の声もきかず、科学的な根拠もないまま思い込みによって書き散らしていて、「真実をしらない」のだと考えています。
福島原発事故がもたらした深刻な被害の中に、いわゆる震災関連死の問題があります。被災県の中で福島県が突出して多く、2014年2月末現在で1664人、5月には1700人を超えたということです。これほど多くの人々が避難途中、あるいは避難生活で命を落としており、今も犠牲者の数が増え続けています。このことは、避難にはきわめて多くのリスクが伴うということを示しています。しかし、「美味しんぼ」はこの重い事実を一顧だにしていません。根拠のない言説で不安をあおることは、そのこと自体が人びとに大きなストレスを与えます。私は「美味しんぼ」そのものが、福島県民に多大なストレスとリスクを与えていると思います。(児玉一八)
児玉一八先生、清水修二先生、野口邦和先生、ありがとうございます。この本は、「美味しんぼ」の非道さを専門家たちが真っ向から批判した唯一の本だ。専門家が「たかがマンガ」とあなどってはいけないのだ。
本県、2211人の転出超 転入者は1288人増で全国トップ
http://www.minyu-net.com/news/news/0206/news10.html
総務省が5日公表した2014年の人口移動報告によると、本県は、東京圏や宮城県などに引っ越す人が目立ち、2211人の転出超過だった。ただ、超過数は前年より2989人縮小。東日本大震災前の10年と比べても3541人減っている。
本県からの転出者数は2万9267人。転出先は東京都が5710人で最も多く、次いで宮城県が4723人だった。東京圏の合計は1万3208人に上り、全体の45%を占めた。大学進学や就職が主な要因と見込まれ、県による人口減少対策では改善に向けた取り組みが課題となる。
一方、本県への転入者は前年を1288人上回る2万7056人で、増加数は全国トップとなった。県外避難者が県内に戻る動きや復興需要の高まりを背景に働き手の流入が進んでいるためとみられる。
(2015年2月6日 福島民友ニュース)
福島人は学んでいる。
テロを肯定する気は全くない。しかし今、「マンガ」が世界で「不快感」「激怒」「憎悪」を招いている事は事実だ。いくら「言論の自由」「表現の自由」だのをエラソウに声高に叫んでも、相手の「不快感」「激怒」「憎悪」は消えない。福島も例外ではない。
73歳にもなって、残りの人生が「不快感」「激怒」「憎悪」の対象になった、哀れな老人の「ストーカー本」の巻、これにて終了。